Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

夏休みの宿題

いつもギリギリか、ちょっと間に合ってないタイプでした
が、今年はやり遂げましたよ
夏休みの宿題

夏休みといっても、出勤は普段通りなんです
でも、夏は5日間夏季休暇があり、いつもよりゆったりしてます

今年はそんな夏に、自分に2つの宿題を出していました
今年の行動テーマ「整理する」の一環です

ひとつは心の整理、父と向き合うこと、記事にしてきた「私と富士山」が実はそうでした
もうひとつは物の整理、2か所の物置と開かずの間、家の3つの場所

心のほうも物のほうも、ちょこちょこした類ではなく、
数年~20年来、とりあえず置いては置きっぱなしにしてきた、オオモノばかり
長い間気になりながら、向き合おうと、手をつけようとしなかったオオモノばかり

それだけにやり遂げた後の気分は言い尽くせない感じです

大きな山でも、じっくり向かえば越えることができるものですね

…と、いうことで、大きな山、富士山、じっくり登ってきます!
 登る気満々で行きますが、その前に雨空との協議になるのかしら…
 
 ひとまず、今から出発です、行ってきますっっ!

子どもたちは宿題がんばるんやでー♪
スポンサーサイト

そして、富士山

今まで4度の富士登山から、富士山は私に「やさしさ」を考えさせてくれました
「やさしさ」これからずーーっと考えていくものでもあります
「やさしさ」って富士山みたいに、大きく、気高く、揺るがないテーマですね


さぁ、まもなく、5回目の富士登山です

今回は友達の友達、私の友達、またその友達…多様な光りどころを持つ「珠」ばかり
そんな数珠つなぎメンバー、その数20人と一緒です

この歳になってこれだけの人数で思いっきり遊ぶことのできる大人たち
そんなつながりがあるって、本当に恵まれてるなぁ、やるやん私(笑)って思います

いよいよ明後日出発、
今回は、めいっぱい愉しむ!それがすべての登山です


一緒に行く、一年生プロジェクトの皆さん、愉しみましょうね
くれぐれも富士山の石を持ち帰ったりしないように(笑)頼みますよ

私と富士山⑩

小さい頃から、父と祖母の関係に心を痛めてきました
そのこと、特に父とのことを考えることも今まで避けていた私でした
でも、富士山でその父と祖母を想うとき、並んで浮かぶ2人の顔は穏やかで優しいものでした

今まで4回の富士登山を通じて、何か見つけられるような気がして、ずっと書いてきました


私、こう思うんですよね

父はものすごく感じやすく、優しいひとであったと
でも、その優しさをうまく出せない不器用なひとでもあったと
そして、その不器用は私も同じだなって

祖母と父が教えてくれたもの、書いていく中で見えてきたものは
「やさしさのかたち」です

優しさ不器用を和らげていく「やさしさのかたち」
やさしさは
■身近な人にほど出しにくい、けど、身近な人にほど、身近な人にこそ
■いつかそのうち、と先延ばしにしたり出し惜しまない
■特別なときでなく毎日の中にあること
■「ありがとう」「ごめんね」を素直にいうこと 
 ちょっぴり思い切りもいるけれど、自分が言って自分が流れを変えていくこと


ありきたりであたりまえ
そんなことばかりですが、
大事なことって、
そういうことの積み重ねなんでしょうね

長々と書いてきて掴めたことが、ゴツイことではなくて、
ありふれた日常にあったことに、ほっとしています
そして、ありふれた日常の尊さに、はっとしながらお終いにします

私と富士山⑨

また富士山に登るはずの30歳の私のその夏は、皮肉なことに父の初盆となりました

私が29歳の秋、父が急逝したのです
父、56歳でした


去年、31歳の夏、一年遅れで、2つの富士山の石と父の写真を持って、
4度目の富士山に登りました

運動不足か、体調がすぐれなかったか、歳(!)でか、
道中ずっと気分が悪くへこたれていた私
蒼い顔ながらも登頂を果たせたのは、そんな私に明るく喝をいれてくれた、
元気な2人の友が一緒にいてくれたからです

そんな友たちに感謝をしつつ、皆がご来光を拝んでいるとき、
2つの石を取り出して、「持ってこれたよ」と心の中で父に報告しました

父には、ほんとに優しくできませんでした
憎んでいたわけでもなんでもなく
一緒に家族と過ごす毎日、急に態度は変えれず、変われず
優しくなる、優しくするきかっけをつかめないまま
本当は優しくしたい気持ちもだせないまま

そんな自分と、父の姿が重なりました
祖母の法事で精一杯やってた父の姿

父も、本当は祖母に優しくしたかった
けど、できなかったんだろな…

富士山の頂上、ゆっくり明けゆく空のしたで、
そんな思いを巡らせながら、
父に「ごめんなさい」
そして「ありがとう」
2つの石をそっと置いてきました

(続く)

私と富士山⑧

田舎の家での法事というものはなかなかなもので、
祖母が亡くなった日から、悲しむ間もなく法事が続きました

そこにあったのは、一生懸命に法事をとりしきる父の姿でした

「お父さん、えらい変わったなぁ」と親戚に言われるまでもなく、
娘の私がびっくりするほど…今までの父からは想像できない姿でした
父の体調は思わしくなかったので、相当しんどかったはずなのに、
祖母のために、まわりの人に頭を下げ、感謝し…


そんな法事ごとがひと段落した頃、
「すまんなぁ、ワシ、部屋に石置いたままやったんや」
父が私に小さな2つの富士山の石を見せながら言ってきました

部屋に置…そんなことなかったはず…
きっとその石は私が持っていく前に、わざと父がとっておいたんだと思います

頂上で石を返したとしても、きっと祖母はよくならない
でも、それは私の想いが通じなかったのではなく、自分が石を持ってたからなんや
そう私に説明するために
富士山に登れても登れなくても、私に責任をもたせないように
いかにも父のしそうなことだから、そう思うのです

父「この石返したら、(自分のしんどいからだが)少しようなる気がするんや
  また、そのうち、持ってってくれの…自分で行けたら一番ええんやけど」
私「もう、しばらくええわ、富士山
  30歳になった記念に登って、そのとき持ってくわ」

30歳になったら富士山、このときの約束は忘れずにいました

(続く)

私と富士山⑦

富士山から戻った12日の夜中の2時頃、家族と話しました

・11日、祖母とお別れをしておくよう医師から連絡があり、
 晩に家族・祖母の6人の兄弟・交わりが深かった人が集まっていたこと
 そのまま、兄弟たちが泊まってくれはるので、家族は家に帰ってきたところということ
・私と祖母の妹1人だけいなかったこと
・祖母はじっとみんなの顔を見回していたこと
・来てない2人を探しているような様子だったこと

そんなことを家族から聞き、
私は家族に、富士山で思いを果たせず帰ってきたことを話しました

「こんな大変な時に家の者がいないなんて」
と、私のことで随分家族は親戚に言われたそうですが、
私の勝手な行動を誰も何も責めずにいてくれました

祖母は深い眠りについたようにずっと動かないでいました

12日の夜はお別れできていなかったおばさまと私が病室に泊まりました
夜中、おばさまも私も寝付けずにいました
祖母の額に汗がにじんでいたので、タオルで顔をふきながら、
眠ったままの祖母に、富士山であったことをいつものように面白おかしく話しかけていました

しばらくすると、祖母の目がゆっくり開き、じっと2人の顔を見て、
「あ・り・が・と・う・な」
口がそう言っていました
胸がいっぱいで、頷くことしかできませんでした
「ありがとう」は私が言いたかったのに…
閉じた祖母の目からは、涙がこぼれていました

それっきり祖母は目を覚まさずに、9月16日の朝、息をひきとりました

(続く…こんなに長くなるとは自分でも予想外、もう少し続きます)

私と富士山⑥

登頂ならずの下山となった3度目の富士山、雨の中一人で歩いていました

「いくら強い思いや願いがあっても、自然には逆らえない」

いくら頂上に登りたくても、だめなんだ、
それを痛いほど富士山と大雨によって思い知らされました

いくら祖母に生きていてほしいと思っても、だめなんだ、
それが自然の流れなんだ

2000年9月11日、その雨は、
東海豪雨と名がつき、各地に被害がでるほどのものでした

泣いたら、祖母の死を認めてしまうようで、今までこらえていた涙
私の涙を隠してくれるには十分な雨でした

ここでようやく、現実を受け止める覚悟ができました

「おつかれ~」ずぶぬれになった私をサチエが迎えてくれました


雨は、東海地方を中心に災害をもたらしました
交通網も混乱していました
高速道路が閉鎖されていたため、迂回と地道での帰路になり、
何時間バスに乗っていたでしょう、大阪に着くと日が変わっていました

すっかり片付いた家に戻ったのは、2時を過ぎていました
家は明かりがつき、まだ家族は起きていました

(続く)

私と富士山⑤

3度目の富士山、8合目の山小屋
目が覚めれば夜中のはずが、夜明け前になっていました

ガイドさんから、これ以上登山はせず、
すぐに下山しますと説明がありました
夜が明け、頂上は晴れているのに、山下白雨、
山のふもとでは大雨になっていて下山が危険ということでした

元の場所に戻せたら、祖母が元気になってくれるかも…奇跡を願った富士山の石
返すべき頂上が青空とともにそこに見えるのに、行くことができない

8合目に申し訳ない気持ちで置きかえらせてもらうことにしました
「頂上に返したかったなぁ…おばあちゃんな、ほんまいうと、もうあかんかも…」
石を置きながら、ここでサチエに祖母の本当の状態を告げました

ガイドさんの言葉通り、山を下るほどに雨あしが強くなっていきました

下りが得意でないへっぴり腰の私に、サチエが言いました
「まり(私のこと)、いちいち私が待ちよったら、よけい体カチカチになるやろ
 先に下りとくから、マイペースで下りといでな、
 もし日ぃ暮れても、ちゃんと待っとくから(笑)」

あまりにゆっくりな私を待つのもちょっとは煩わしかったかもしれません(笑)
でも、これも彼女の心配りで、一人にしてくれたんだろな、と感じられました

サチエがつくってくれたこの一人の時間が、意味ある時間となりました

(続く)

私と富士山④

強行した3回目の富士山、つき合ってくれたのは、
超幼なじみで市内のサークル活動でも一緒だったサチエです
意地っ張りなとこがある私でも、ご意見される相手が彼女なら、素直に聞くという、
私の心のクセまで知り尽くしている貴重な親友です

サチエには、祖母の病状がよくないから、せめてもの思いつきで、
富士山に石を返しにいきたいねん、とだけ伝えていました
もし、あと数日命がもつかどうか、ということを伝えると、
「石は私が返してきたるさかい、家おったげなあかん」
と、いうような彼女だからです

そうでなくても、しんどい道中、
「あんただけ石返す目標があって、私はただ登るだけって、
 なんか嫌やんかぁ(笑) 石、半分持たせてかぁ」
…と、半分こしても重たい石を、
「おばちゃん、どないして一人で持って帰ってってんやろ」
なんて笑いながら、持って登ってくれました
(どこまでも、人情家なサチエです)

前に登ったのと同じコースなのに、
お山じまいを過ぎていたからか、気分が沈んでいたからだか、
どこか閑散として、空気も寒々、視界もガスでぼやけて、
道のりがとても長く感じました

懸命に22時頃、8合目の山小屋に歩きつき2~3時間仮眠をとることになりました

(続く)

私と富士山③

母が富士山から石を持ち帰ってからずいぶん歳月が過ぎました

中学生だった私も24歳になっていました
その年の夏を前に、祖母が脳梗塞で入院しました
歳も歳だったので、それまでも何度か病院のお世話になっていましたが、
その時は、もともと小柄な祖母がみるみるうちに小さくなっていきました

それでも、快方に向かっていくことだけを信じていた夏の終り頃、
病院のいつもの大部屋に祖母の姿はありませんでした

集中治療室で、たくさんの装置につながれた祖母を見つけました
肺炎がひどく…「残念ですが、体力的にもうながくは…」
主治医の説明が他人事のように思えました、信じたくなかったのです


富士山の石…

富士山に石をかえしにいこう…
そうしたら、もしかしたら…

「こんな時に何を言ってるんや」
目の前では、家で祖母をそらへ送る準備が始まっていました
田舎の昔からある家なので動かさないと不便な家具などがたくさんあり、
病気の父は力仕事が難しいので、親戚たちが手伝ってくださってるような中だったので、
そう言われるのも当然のことでした

自分でもとんだワガママで、受け容れられるものではないと頭では解っていながら、
9月10日、家族の反対を押し切って出発しました

富士山の石のいわれどうこうなんて、本当はその場をしのぐ理由でしかなく、
その時もなお、私だけでも祖母はいてくれると信じていたい思いばかりあったので、
起こっている状況についていけない自分をどうにかしたかったのです
今起こっている現実から離れたい、そんな一心だったのです


家族の怒りの中、石を荷物に詰めていると
「行って来たってくれ、たのむわなぁ」
そう言ってそっと一人近づいてきたのが父でした
長年、散々祖母のことで私とけんかをしてきた父です

それだけに、おばあちゃんっ子の私の心の内を痛いほど解ってくれていたのかなぁ、
今振り返ると、そう思えます

(続く)

私と富士山②

今までに4度富士山に登っています
最初と次の2回目の登山はお気楽なものでした

1度目は、中1の夏、母・姉と3人で
(兄は部活・父も部活顧問と体調悪く「元気やったらワシも行きたいねんけどのぅ」参加せず)
頂上が手に届く寸前の9合目で、姉が激しい高山病に襲われ、
3人でやむなく下山

2度目は、中2の夏、母と2人でリベンジ登山、初めての登頂
壮観な眺めとやり遂げ感で感無量…のはずが、私ね…
防寒対策を怠っていたため、寒さの余り頂上の山小屋の中で、
ずっと焚き火にあたっておうどんを食べていました(笑)

きっとその間に詰めていたのでしょうね…
家に帰ってびっくりしたことに母ときたら富士山の石を持ち帰っていた※のです
1個や2個の話ではありません、10個ほど、かなり大きいものもありました

母にしたら、嬉しさと、生け花の趣をだすのに丁度イイ、という単純な気持ちだったようです
でも、周りからは揃いもそろって、「あかんやろ」の一声
さらに家相をみれるとかいう母の知り合いの魚屋さんからは、
「霊山とも言われる崇高でおそれおおい富士山の石を動かすなんてバチあたりな!
 そんなものを置いていて、家が繁栄していくわけがない」と、ケチョンケチョン

しょんぼりする母に「また、返しにいったらええやん」と言いながらも、
石は家に置かれたまま10年近く時が過ぎました

(続く)
※富士山の石を持ち帰る行為は絶対にいけないことです
 自然公園法によると、
 「国立公園では、鉱物を掘採し、又は土石を採取することは
  環境大臣の許可が必要」とのことだそうです
 もちろん母は環境大臣の許可なんてもらえるはずもなく…

私と富士山①

前回の記事の続きになります
今までの富士登山には家族を思わずにはいられません

家族の説明をすると…
私が生まれ育った三木の家は、母の実家、生まれも育ちも神戸の父は婿養子です
母方の祖母(祖父は幼いころ亡くなりました)と父母、3人兄弟(兄・姉・私)、
6人で暮らしていました

両親が働いていたので、祖母が私たちを可愛がって世話してくれました
特に末っ子の私は兄弟の誰よりもおばあちゃんっ子でした

暮らしてきた環境や感覚の違いだったのでしょうか、
祖母と父は折り合いが悪く、
祖母に冷たくする父に、幼いころから私ははむかってばかりいました
自分につらくあたられるのはましなのですが、
大好きなおばあちゃんに対する父の態度が許せず、
父のことも大切に思うものの、そういう毎日のなかで、
素直に優しくできない子どもであり、そのまま娘となってしまいました
こんなことを、他の人に話すわけもなく、自分の中にある、
ここが、育ちの中での憂いごとであり、暗さでした

父が私の今の歳くらいにでしょうか、病気をし、
日々体調や生活をコントロールすることや、
大好きな体育の先生としての仕事を思うようにできないこと、
善くなってほしいと願うのと裏腹に悪くなってく病状に、
将来の自分や家族の生活の不安など、
ストレスを抱えていました

その父のストレスが、どんなに計り知れないものだったか、
情けないことに、今この歳になると理解や想像ができるのですが、
幼いころの私には、そのしんどさを察することはできず、
父のしんどさに追討ちをかけてたようなものだったに違いありません

…と、いうようななかで、次回から富士山が登場します



私と富士山

先月、突如、北斎の富士の絵を観に美術館に出かけ、
北斎にとって富士とは…という記事をかきました
滋賀から帰る道すがら、私にとって富士とは…
そんなことを考えていました

今年、8月30日・31日に富士山に登ります
えぇ?!また行くの、と思われるかな
そう言われてもおかしくないですね
 中1→中2→2000年、24歳→2007年、31歳(あ、歳バレバレ)→
 そして、2008年、32歳、私の富士登山も今回で5度目になります

すっきゃなー、富士山…なんて声が聞こえてきそうですね(笑)
確かに、好きな場所です、大きくて、美しくてね

それ以外に、実は家族への想いがある特別大きな場所でもあります
これまで4度の登山がその意味になります
美しい、明るい、楽しい想いではないので、
同行者にもそんな想いは口に出したことがなかったのですが、
自分の心と向き合うために、次から「私と富士山」をまとめてみようと思います

次回から、キナコのあくび、ちょっと重たい空気が漂います…予告編でした

ひじき・うなぎ

「おかひじき」という野菜知っていますか?
日本の海岸の砂地では自生しているそうですが、
うちでは、母が畑で作ってくれています

きれいな緑色の、ひじきのような姿をした葉をさっとゆがくと、
ショリショリの歯ごたえがとってもたのしくて、
癖がない味なので洋風、和風、中華なんでも使えるお気に入りの野菜です

おなじ「おか」がつくものでも…
「おかうなぎ」は私が好きくないニョロリ様(へび)のことらしいです
地域によっては料理屋さんで「おかうなぎ」ってメニューに載ってると、
習い事の先生がおしゃってました
この時期、スタミナをつけようと、うなぎを食べはる方も多いでしょうが、
うなぎの親戚かなんかと思っておかうなぎを注文したらワオ!ですね(笑)

ひじきとうなぎ
どちらも「おか」がつくと陸の、見た目が似てるけど別のものになるんですね

ビッグ

表現力アップのため、画像ではなく言葉でお伝えできたら…
そんな思いでいつも記事をつくっていますが、
今日の写真のインパクトを言葉で表しきれなかったので、写真で紹介します

7月30・31日出張先の和歌山市で発見したもの

200730 wakayamajyou
大きなクスノキ

200730 wakayamajyou2
大きな虎(伏虎像)

200731 muryoukouji
…!?

200731 muryoukouji2
ビッグ!
インパクトもビッグ!!
釣鐘ではありません、首から上の仏さま(首大仏様)


出張なんて言いながら、観光ばかりしてるみたいですが、
そんなことありません、2日目の研究会場は、和歌山ビッグ愛
ビッグづくしの和歌山でした

和歌山市を訪れられたら、探してみてくださいね

Appendix

プロフィール

ki.na.ko

Author:ki.na.ko
FC2ブログへようこそ!

カレンダー

07 | 2008/08 | 09
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -

最近の記事

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。